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エッセイ

エッセー高校時代から今日まで
 昭和42年に入学した札幌北斗高校の3年間の思い出を、この文章作成のためなぞっていると懐かしい顔が次々浮かぶ。突如胸キュンと甘酸っぱさが胸の辺りに渦巻き、予想もしなかった体感に驚いた。高校生活で大きく占めるのは走るのが好きで入った陸上部の活動だ。私は長距離が向いているようで、800mを専門に走っていた。当時女子マラソンなど長距離は競技種目になく800mが最長で、一度だけ全道記録に載ったが一瞬だった。今も緊張のスタート直前の夢を見る。
 卒業し電電公社(現NTT)に入社、電話交換手として働き始める。800名の交換手は全て女性ばかり、女学校の延長のようであった。その後何度か他部門へ異動し、50歳の時北海道議会議員への立候補の依頼がきた。手稲区在住の女性を求めていた。定年まであと10年を勤め上げようとした時期であり、退職しての立候補は迷った。夫に相談したら「やってみればいいしょ!」と思いっきり背中を押され決心する。半年後に投票日が迫り、承諾してからは目の回る忙しさでポスター作成のためまず美容室、次いで撮影所で写真撮影、無理矢理の笑顔で200枚以上も撮り最後は口が引きつり痙攣する始末。もう写真撮影はコリゴリで、ポスターは今だに7年前の写真を使っている。一番困ったのは演説の暗記で、3行の原稿暗記がやっと。初めて手稲区の先輩市議会議員と朝街宣を行った時は、メモのペーパーを取り上げられ、うる覚えでシドロモドロの惨憺たる朝街宣デビューであった。また、一人でも多くの方に顔と名前を覚えてもらおうと半年間で6千件余りを訪問した。午前9時〜午後8時過ぎまで一軒一軒ピンポンを押し「道議会議員候補のすだ靖子です」と言い続け、小走り状態の地域周りでは、足が丈夫で良かったなぁと何度思ったことか。陸上部経験は、体力勝負の選挙活動に大いに役立った。
 多くの皆さんに支えられて4月の統一自治体選挙では、まさかのトップ当選を果たすことができた。手稲本町商店街に事務所を構え机に座っていると一国一城の主になった気分であったが、議員生活はどう展開されるのか期待と不安が入り混じった心持であった。
 その頃自宅の横を流れる「中の川」に毒毛虫が大量発生していると隣人から告げられ、早速現地調査に行くと、桜の木にびっしり毛虫が群がり歩道にもウヨウヨ這っている。デジカメで至近距離から撮影を済ませ自宅へ戻ると、腕がピリピリ痛み、浮遊する毒毛虫の繊毛が刺さったらしく、水で洗い流し事なきを得た。「中の川」は道の管轄で、担当部署に連絡し次の日に現地で待ち合わせたら、道や地元の土木現業所から職員が6人も来て対処の説明があった。来た人数も説明も大袈裟で驚いたが、これが議員になっての初仕事であった。
 身近な方にも「議員ってどんな仕事してるの?」と聞かれ、日常業務は理解してもらえていないようだ。定例議会は年4回合計90日開催、委員会は常任・特別合計24日開催、開会日以外は地元に戻り地域の行事参加や地域回りをしている。私は定期的に「道政だより」を発行し後援会の方々や企業に配布をして、日常活動や議会報告をしている。ホームページも立ち上げ常に情報発信を心掛けている。今までの活動や取り組み内容はsudayasuko.comをぜひご覧頂きたい。
 手稲区には多くの北斗高校卒業生が在住しており、陰になり日向になり親身になって応援くださっている。これからも北斗高校の皆さん並びに卒業生の皆さんに支えられ、道民の安全安心な暮らしのためにしっかり活動を続けて行きたい。
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